「弓を射る時に、弓射るとおもふ心あらば、弓前(ゆみさき)みだれて定まるべからず。
太刀(たち)つかふ時、太刀つかふ心あらば、太刀前(たちさき)定まるべからず。
物を書く時、物かく心あらば、筆定まるべからず。
琴をひくとも、琴をひく心あらば、曲乱るべし。
弓射る人は、弓射る心をわすれて、何事もせざる時の常の心(しん)にて弓を射ば、弓定まるべし。
太刀つかふも、馬にのるも、太刀つかはず、馬のらず、物かゝず、琴ひかず、一切やめて、何もなす事なき常の心(しん)にて、よろづをする時、よろづの事、難なくするするとゆく也(なり)。

上記は新陰流の剣客にして徳川将軍家の兵法指南役、柳生宗矩(むねのり)の著『兵法家伝書』にある一節である。
「するするとゆく」という言葉が実に心地良い。

精神療法や対人援助の分野においても、さまざまな知識・技術に基づいた〇〇療法や〇〇セラピーが乱立している。
「こういうときはどうしたら良いでしょうか?」「どう言ったら良いでしょうか?」と不安がる初心者は、そういうノウハウに飛びつき、気がついたら、そういう作為的で操作的なやり方に首まで浸かったベテランになってしまっている。
残念ながら、それでは本当に大切なことは患者さんやクライアントには伝わらない。
構えて、はからって、考えて、賢(さか)しらだってやることの臭みが、患者さんやクライアントの心を閉ざさせるからである。

新人の女性保健師が、あるひとり暮らしのおばあちゃんの家を訪ねた。
安否確認だけなら電話でも良かったが、つい心配になったのである。
憎まれ口を叩くので有名なおばあちゃんは、玄関口で「あんた、何しに来たんだよ!」と毒づいた。
彼女は“思わず”「顔が見たかった。」と言った、いや、出た。
それは赤心の声であった。
するとおばあちゃんは見たことのない顔になり、「ありがと。」とポツリと言った。
そして翌月、彼女は再びおばあちゃんの家を訪ねた。
家の玄関口でまた「あんた、何しに来たんだよ!」と言われた彼女は、先月のことを思い出し、「顔が見たかった。」ともう一度言ってみたが、今度は「帰れ!二度と来るな!」とドアを閉められた。
1回目は“思わず”言ったので、おばあちゃんの心に入った。
2回目は“思って”言ったので、おばあちゃんの心に却下された。
さて、それで彼女は困った。
3回目はどうするか。

それは皆さんへの宿題にしましょう。
[ヒント]“思って”“思わず”言うことはできません。

 

 

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