「引きこもり」の子どもたち、大人たちがいる。
彼ら彼女らは通常、自宅の中、自室の中に引きこもる。
しかし、引きこもるのは、自宅や自室ばかりではない。
18歳以上になると、時に海外に打って出る人たちがいる。
人と人との距離が近く、言動の表裏をデリケートに感じ取る日本のコミュニケーションに疲れ、
特に何らかのコミュニケーション障害(特に自閉スペクトラム症(ASD)や自閉スペクトラム(AS)に基づくコミュニケーション障害)がある人たちにとっては、文化の違う海外での暮らしの方が却って過ごしやすかったりする。
私はそれを「そとこもり」と呼んでいる。
そこでは、察することも要らない、忖度も要らない、暗黙のマナーやルールもわからなくて良い、何事も結論から、本音から言えば良いし、
自分のコミュニケーション障害を相手は文化の違いのせいだと思ってくれる。
これは有り難い。

時に海外在住の日本人に会ったとき、「ん?」と違和感を覚えるときがある。
それは現地に居住するうちに現地ナイズされたことによる違和感ではなく、その人が実は元々日本時代から持っていたコミュニケーション障害に基づく違和感だったりする。
それでも、その方が生きやすければ全然OKなのであるが、どんなに文化が違っても、人間と人間とのコミュニケーションとして万国共通の部分もある。
わかりやすい例を挙げれば、国際結婚をした際、パートナーはちょくちょく起こる行き違いについて、当初それが文化の違いによるものと思ってくれるが、やがて、それにしてもおかしいと気づき始める。
そして相手のコミュニケーション障害によるものだということを発見する。

だからやっぱり、「引きこもり」と同じく、「そとこもり」に走ったって良いのだけれど、やっぱりどちらもひとつの通過点であって、どこかでは自分のテーマと正面から向き合った方が良いんじゃないかと私は思う。
それが今日申し上げたいこと。

少なくとも発達障害がベースにある人たちに対しては、生きやすくなるための治療教育=療育が子どもや大人のために用意されているということを知っておいていただきたいと思う。

 

 

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