昨日お話した「成長の四段階」の話の中でも特に、「服従」→「逃避」に進む人の方が、魂を売ってうまいこと「服従」し「適応」できている人たちよりも、実は健全なのだということを今日は特に追記しておきたい。
なんだか「逃避」だとか「うまく適応できない(=不適応、適応障害)」だとかというと、どうも弱っちくてダメなもののように思われがちであるが、私に言わせれば、おかしな環境に魂を売れなかったからこそそうなったのであり、むしろその健全さを見逃してはならないと思う。
本当は、魂を売ってうまいこと「服従」して「適応」している人たちの方が、魂を売らないで「逃避」したり「適応障害」になっている人たちに対して、秘かな“劣等感“を抱いているために、彼ら彼女らに対して見下すような言動を取っていることが多々あるのである。
「子どもだな。」「弱っちいな。」「もっと大人になれよ。」「ダメだな。」「いつまで自分探ししてんだよ。」などなど。
実は自分の方が感覚麻痺やちょろまかしを使ってうまいこと立ち回ってるだけのヘタレだとはバレたくないからね。
自分がもし「服従」から「逃避」に至ったならば、その本当の意味をちゃんと掴んでおこう。
「服従」するのがまっぴらだから、魂を売りたくないから、
できるだけイヤなヤツに会わないようにする。
家出する。
不登校になる。
ひきこもる。
出社拒否する。休職、退職、転職する。
それも一歩。
そしてその上で、あくまでも「逃避」が通過点であることもちゃんと押さえておくことだ。
通過点としての「逃避」は大いに結構だが、いい年こいて何十年も「逃避」では埒(らち)が明かない。
残念ながら
パラダイスのような家庭はない。
パラダイスのような学校もない。
パラダイスのような会社もない。
だからこそ、「逃避」の次に、堂々と「反撃」できるようになる段階が待っている。
そうして初めて、逆境を蹴散らしながら、本当の自分を生きることのできる、幹の太い人間になって行けるのである。
上っ面を漂流し続けるような「自分探し」ではなく、「本来の自己の面目」としての、本当の「自分探し」とその実現がそこにある。
そのためにも今はまず、ちゃんと逃げて、体制を立て直して、さあて、反撃の準備をじっくりと始めましょうか。
ゆっくりでいいよ。
でも、いつか、必ず。