近藤先生が1999(平成11)年2月3日に亡くなられた後、奥さまと一緒に原稿をまとめ、『〈こころ〉の軌跡』(春秋社)を発刊した。
その際、「あとがき」に次のような句を引用し、思いを認(したた)めた。
如月(きさらぎ)の 生命(いのち)囃(はや)せる 光なり 阿弥
近藤先生と場を共にすると、いつも生命(いのち)が歓喜(よろこん)だ。
それ以外に書きようがなかった。
我々はただ生物学的に生きていれば良いというようなものではない。
生命(いのち)の歓喜(よろこび)を感じなければ生きている甲斐が、生命(いのち)を授かった甲斐がないではないか、と思う。
情緒的な面白おかしさではなく
快楽的な悦(よろこ)びでもなく
紛れもなく生命(いのち)が歓喜(よろこん)でいると感じる瞬間。
あなたにはありますか?