湯船につかっていると、いつの間にか時間を忘れてボーっとしている。
最近のお風呂は5分毎にアラームが鳴って我に返らせてくれるが、以前はいくらでもボーっとつかっていることができた。
その間、いろいろな空想に浸っているわけだが、今思えば、その性癖は現実逃避から生まれたのだなとつくづく思う。

小さな子どもたちにとって辛い現実から逃げる道は頭の中しかない。
さまざまな空想を膨らませることで、しんどい現実から逃げ、自分を慰めているのである。

例えば、漫画家や小説家の生い立ちには、辛い子ども時代を持つ人が少なくない。
それが彼ら彼女らを夢想家へと導き、想像力の豊かな人間に仕立てて行ったとも言える。

しかし、それも程度問題で、余りに現実逃避の度が過ぎると解離状態に近づいて行く。

そう思うと、お蔭さまで生育史上の問題を解決して来た私は、ボーっとしている時間が以前よりずっと短くなって来た気がする。
厳しい現実ともバチバチ対峙できるようになり、空想に逃げる必要がなくなって来たのかもしれない。

けれども、ボーっとすることには、実は別の役割もあると思っている。
生産性、効率性、功利性などが求められる現代、非生産的で、非効率的で、無意味なボーっとする時間は、そういうせせこましさを超越することのできる、実に贅沢な時間であるとも言えるのだ。

何が本当に大切なのかを感じるためのボーっとする時間。
それは必要でしょ。

そして今度は段々くまのプーさんの境地に近づいて行く。

 

 

 

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