先日、東急世田谷線に乗った。
御存知の方は御存知であろうが、都会では珍しい2両編成のチンチン電車である。

乗ってすぐに空いている座席に座ろうとしたら、そこになんと通帳とカードがある!
忘れ物だ。
咄嗟に、車掌の若い女性に目配せしながら(電車のドアはまだ開いていた)
ホームに降りたばかりの乗客たちに向かって、ドアから通帳とカードを持った手を振りかざしつつ
「忘れ物ですよっ
と叫んだ。
すると一斉に振り返った乗客たちの中にいた一人の中年男性がハッとした顔をして駆け戻って来た。
「私です。すいません。」
出て来た車窓さんも
「あなたのもので間違いないですか?」
と確認して手渡した。
この間、10秒もかかってないだろろう。

以上、当たり前のことが当たり前に行われただけの話であるが、昔の私にとっては当たり前ではなかった。

まず通帳とカードを見つけたとしても、面倒なことに関わりたくないと“計算”して、知らん顔をして他の座席に向かったかもしれない。
次に、通帳とカードを手に取ったとしても、「言うべきか言わぬべきか」「どう言うべきか」「まわりの視線も気になる」などと“考えて”いるうちに電車が出発していたかもしれない。
そして後になってようやく車掌さんに届けただろうか。

兎にも角にも、神経症的な抑圧とやりくりのうちに、無駄な時間が過ぎ去っていただろうと思う。
それが今回は何も考えず、パッパッパと体が動いた。
人間、抑圧ややりくりがなくなれば、prompt(プロンプト)に(即座に)反応できるのだ。

「調子良いじゃないの。」

まるで私の方が助けてもらったように嬉しくなった。
そう、私が助けてもらったのだ
私を通して働く力に。
私がそれを邪魔しなくなっただけということだ。

そして電車を降りた私は鼻歌をうたいながら歩いていた。

しかし次回またpromptにできるかどうか。
私の力じゃないからな、
それはまたおまかせなのであった。

 

 

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