子どもにとっては、その小さな家庭が世界であり、宇宙である。
よって、どの家庭もきっとこうなのであろう。
どの社会もきっとこうなのであろう。
どの人間関係もきっとこうなのであろう、と思い込む(一般化する)。

ネグレクト家庭で育った男の子がある児童養護施設に保護された。
彼は驚いた。
だって、お風呂に入れるんですよ。
着替えが出て来るんですよ。
食べたいものを訊いてくれて、ハンバーグが出て来たんですよ。

身体的虐待を受けて育った青年が結婚して、妻の実家を訪れた。
彼は驚いた。
仲の良い親子って本当にいるんですね。

父親はアルコール依存症で自殺し、母親からは心理的虐待を受けて育った女性が、うつ病を発症してある精神科クリニックを受診した。
身体症状のひとつにしつこい頭痛があり、主治医が頭痛の鑑別をし、抗うつ薬との兼ね合いから、使える薬について説明した。
フツーの主治医なら誰でもが行うことである。
彼女がこう言った。
「私のためにそこまで考えて下さってありがとうございます。」
その言葉はこう聞こえた。
「私なんかのためにそこまで考えてくれる人はいませんでした。」

子どもが選べない特殊な家庭で埋め込まれた先入観を修正するには
新たな健全な体験しかない。

だから「その後」出逢う人との間で起きる体験は非常に重要である。
本人は可能な限り、健全な相手を選びましょう。
(決してかつての親に似た人を、問題のある人を選ばぬように
そして周囲の人は(特に対人援助職者は)その人に健全な体験をもたらす人でありましょう。

人が人を癒すというのは、そういうことなのだと思います。
 

 

 

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八雲総合研究所(東京都世田谷区)は
医療・福祉系国家資格者を対象とした人間的成長のための精神療法の専門機関です。