かつては「誰々は人物だ」という表現がよく使われた。
そこでいう“人物”とは“立った人間”のこと、いや、“立たされた人間”と言っても良いかもしれない。
即ち、自分に与えられた天命、ミッションを知り、身命も惜しまず、その実現に向かって、ブレず迷わず邁進している人間のことである。
天命によって、ミッションによって立たされているのであるから、肚(はら)が据わっているに決まっている。
(やせ我慢と虚栄心によって無理にいきがっているような連中とは根本的に違うのである)

かの吉田松陰がいう。

かくすれば かくなるものと 知りながら やむにやまれぬ 大和魂(やまとだましい)
(こうすれば死ぬことになるとわかっていても、大和魂に突き動かされてやることなので、やめるわけにはいかないのだ)

そして松陰は死罪となった。

そして、かの坂本龍馬のいう

世の人は われをなにとも ゆはゞいへ わがなすことは われのみぞしる
(世間の人が自分のことをなんと言おうと、言いたいように言えばいい。自分がすることは自分(と天)だけが知っている)

そして龍馬は暗殺された。

そんな天命、ミッションを知らずして、他者評価に溺れ、我欲に酔い、たった一度の人生を空疎に生きるわけにはいかないのだ。

吉田松陰は享年29歳、坂本龍馬は31歳。
出生の本懐を果たした“濃い”人生であった。

生命(いのち)授かりし人よ、人物たるべし。

 

 

 

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